大型連休中、お寿司を食べた人も多かったのではないだろうか。筆者も5月5日こどもの日、遠方から遊びに来た姉の孫一家と一緒にお寿司を頂いた。
姉は糖質制限を学びお寿司が”ダブル糖質”だということも理解しているが、やはり来客時のごちそうはお寿司が定番のようだ。注)シャリは、糖質の多いごはんと二杯酢の砂糖を使用しているのでダブル糖質となる。
糖尿病の義兄、境界型の姉、低糖人の主人と私はシャリを残して上の刺身だけを頂いた。残したシャリ8個の概算糖質量は62.8g以下(角砂糖15.7個分以下)もあった。以前はこの程度の数はペロリと平らげていた。
特に回転寿司へ行くと、糖質の多いビールを飲みながら、積み上げられた皿は塔のようになっていた。魚介のにぎり2貫=約15.7g(角砂糖約4g個分)、カッパ巻き6個=19.3g(角砂糖4.8個分)もある。知らなかったとは言え恐ろしい糖質量を摂取していたわけだ。《参考文献:食品別糖質量ハンドブック 江部康二著》
一方、残したシャリの固まりを見ながら、食べ物のない国の飢えた子供達、米づくり農家の人達に対して申し訳ない気持ちで一杯になった。自宅や低糖人との食事ではこのような事は起こらないが、会食で普通の食事=糖質の多い食事をせざる得ない場合、「食べるべきか」「残すべきか」「食べ物を粗末にして良いのか」と思うことが多々ある。
糖質制限を実践することは大切だが食のありがたみを考えることも大切だ。また人間関係も大切だ。家族ですら理解がなければ推し進めると角が立つ。お寿司一つで考えさせられた。
そこで、令和という新しい時代を迎えた初めてのこどもの日に、50年前の田舎の食環境を思い出してみた。
筆者が生まれ育った八ヶ岳高原は今でこそ人気リゾート地だが、当時は道路整備が不十分なので物流も悪く、今のように多種多様な食品を入手できる術はなかった。
ベストセラー本「炭水化物が人類を滅ぼす」の著者夏井睦医師は昆虫食推奨派だが、山梨県北巨摩郡(現北杜市)の住人はおかずにイナゴや蜂の子を普通に食べていた。秋には刈り取りした稲の根元の土中に生息しているタニシ(巻き貝-地元では”ツボ”と呼ぶ)をよく取りに行った。泥抜きした後大根と味噌で炊く。イナゴもタニシも農薬散布でいなくなったが、今は珍味として食べられているようだ。
衛生管理も不十分なので、時々紙フタの牛乳が腐っていることがあった。回虫のいる豚肉はよく火を通し、人糞を肥料に使う白菜などはよく洗うように言われた。赤痢になった同級生もいたので当時の不衛生さがわかる。
一方、季節の野菜、川魚や馬肉は新鮮だった。夏の収穫期になるとおやつはみずみずしいキュウリに味噌を付けて食べた。井戸水で冷やしたトマトを丸ごと頬張った。すっぱい味とトマトのかおりが懐かしい。
特別なおやつは1/2~1本のバナナ、かんてんで作る缶詰ミカン入りゼリー、そして不二家のケーキ。誕生日、お祭などの特別な日しか食べられなかった。冬は餅。鏡餅はお正月が終わると砕いて揚げてあられになった。
湯がいて直ぐに食べない理由は不明だが、時間が経ち乾燥気味のひやむぎを熱い汁に浸して食べる。お呼ばれでよく出たごちそうだ。勿論、一番のごちそうはお寿司だった。当時地元で大繁盛していた寿司屋は、にぎりが大きくて有名だった。新鮮でおいしい魚の入手は難しいので質より量を売りにしていたのだろう。
こうしてみると、50年前は白米、もち米、白い麺、甘いものは「毎日」ではなく「たまに」頂けるからこそ、ごちそうだったのだ。当時、糖尿病は”贅沢病”と言われた。ごちそう料理を毎日食べている現在人よ!昔も今も、糖尿病の原因は糖質の多い食品だと言うことを自覚して欲しい。