【割れてしまった鉢もサボテンには居心地のよい場所】
新型コロナウイルスは多くの人にとってはまだ対岸の火事です。将来もしかしたら当たり前の事が当たり前でなくなる事態になるかもしれません。
しかし自然災害の被害と比べたら些細なことです。食糧も水も電気もガスもある。待機できる住まいもある。不安をあおる情報は何の意味があるのでしょうか。マスク、アルコール、トイレットペーパー不足などたいした問題ではありません。
感染者だけでなく実際に経済的な窮地に追い込まれている人は沢山居ると思います。状況が劣悪になっても、ささやかな事に幸せを見つけて淡々と過ごせるでしょうか。自問自答しています。
多くの人は、”健康”も、”日常生活”も、失う迄そのありがたみに気がつきません。新型コロナウイルスの渦中は「足(たる)を知る」生き方を始める良い機会だと思っています。
さて、今回は番外編です。心が少しでもほっこりして頂けたらと願いをこめて。
写真の腕はお粗末ですが、幼い頃から植物が大好きなので愛でる気持ちで撮りました。
樹齢300年といわれるシダレサクラの巨木。大阪夏の陣で活躍した戦国武将後藤又兵衛の屋敷跡にあると伝わることから、地元では「又兵衛桜(またべえさくら)」と呼ばれ親しまれているそうです。
青い空から幾筋もの大きな滝のように落ちてきそうな桜色の枝。
300年の長きにわたり毎年花を咲かせ続けた古木の生命力!
桃色がどぎつく見えないのは自然が生んだ色だから。
又兵衛桜・白い木蓮・花桃の舞台に出現した神秘的な雲
美少年ナルキッソス(ナルシス)は水に映る自分の姿に見とれて水仙(学名:Narcissus)になってしまった。「ナルシスト」の語源です。
海沿いの山斜面につくられた美しいブリティッシュ・ガーデンです。本場英国に引けを取らない植物の植え込みセンスは卓越しています。俗っぽいエントランスから少し坂道を登ると景色は一変。
下から眺めると、木々に囲まれたチューリップ、ビオラ、デイジーなどの植物も春を満喫している。
ビオラ(手前)と十二単(じゅうにひとえ)を連想させるアジュガ。花の妖精が座っている。
チューリップの赤色も緑色があるから生える!人間界も相生効果は一杯ある?
切られた幹の2箇所からエネルギーに満ちあふれた新枝が出てきた楠木。目に鮮やかな暖色系の新葉。
人の体も再生できる!
先日テレビで放送された巨漢のアメリカ人主婦3名がトイレットペーパーを入手するために殴り合いの喧嘩をしているシーンに絶句!さすがに日本人はそこまでは行かないだろう?と信じたい。
さて最後に、赤ひげ先生のような治療家だった故井村宏次(いむらこうじ)先生が提唱したInnocent Zephyr Project「無垢なる微風プロジェクト」の一文をご紹介させて下さい。
先生は、鍼灸・東洋医学臨床家、気・PSI研究家、翻訳家、フォトグラファー、音楽評論家、アート評論家として多方面で活躍されました。著書多数。
注)怪しげな団体・スピリチャル系ではないので誤解なきようお願いします。
間違っているかもしれませんが、書くだけ書いておきます。
人の「喜び」について考える時、まず、第一に思い出されるのは、欲しいものが手に入った時の「喜び」。しかしながら、この喜びに対して他人に何かをさしあげてその喜ぶ姿を見て喜ぶという「喜び」もあります。
“その何か”が「モノ」や「花」である事もあります。また他者に対する「善意」や「愛」である事も少なくないでしょう。
実は、井村宏次とその一味(弟子)の体験では、自分が何かを得た時に感じる満足感よりも、他者に“喜んでもらった時”のほうが、遥かに深い心の満足を感じるのです。このことは井村がヒーラーであるためかもしれません。
考えてみると今の時代程、社会を指導していく立場の人々が「自分のこと」だけしか考えていない時代はなかったと言ってよいでしょう。
別な言葉でいうと「あまりにも人間らしすぎる」のです。はっきり言うと「いやしい人」が多すぎるのです。この風潮は政界、官界をはじめ財界、教育界や教壇、アート、音楽分野etc.におけるまで巾広い分野の人々にはびこっています。そして、これが我が国のパワーを削ぎ経済を歪ませた遠因にちがいありません。
だから私たちは、今ちょっと立ち止まって、世界の中の日本、人類の中の日本人があるべき姿とは、と考えてみるべきではないでしょうか?
かつて(江戸期から明治にかけて)海外から日本にやって来た人々は日本人を「正直」「純粋」などと評しました。そう、“Innocent” イノセント はかつての日本人の「美風」であったのです。
あらゆる分野に ”Innocent Zephyr”「無垢なる微風」が巻き起こってほしい。
貴方の周りから社会のここそこで。
これが<Innocent Zephyr Project> の願いであり、このプロジェクトの意味なのです。
願わくば、日本のあちこちでイノセント・ゼファーが吹きますように。
2004年 井村宏次 記す